浄土真宗でのタブー(門徒として気をつけたいこと)




 浄土真宗では他宗に比べてタブーが多いように見えるかもしれません。一面、排他的に見えるかもしれませんが、そこには、 どうしても排さなければならない理由があるのです。その理由は、お釈迦様がお説きになり、親鸞聖人があきらかにされた真実の教えが、 浄土真宗につながる一切の人々に間違って伝わってほしくないからです。真の仏教徒として、毎日が如来様のお慈悲の中に抱かれて、強く明るく幸せな日々の生活を送っていただきたいからです。
(「その1」から「その9」まで用意しました。)

その1 浄土真宗では「般若心経」はあげません。となえません。
[その理由]

その2 日の吉凶、占い、方位、姓名判断などの迷信
    に左右されない。
[その理由]

その3 「位牌」は用いない。使わない。
[その理由]

その4 「冥福」、「霊前」の語は使わない。
[その理由]

その5 線香は立てない。香は押し頂かない。
[その理由]

その6 神棚は祭らない。お札は貼らない。
[その理由]

その7 仏事は追善供養ではない。功徳は回向しない
[その理由]

その8 仏壇に他宗の仏像や故人の写真は入れない。
[その理由]

その9 お盆に特別なお飾りや迎え火、送り火などはしない。
[その理由]

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念仏の声を 世界に 子や孫に



バラバラでいっしょ
ー差異をみとめる世界の発見ー





その1 浄土真宗では「般若心経」はあげません。となえません。

 浄土真宗では、般若心経が説くところの人間が智恵(般若)を得て自力で仏へとの自力実践行としての菩薩道を歩みません。お釈迦様がお説きくだされた阿弥陀仏のご誓願(ご本願)を信じさせていただき、南無阿弥陀仏の本願念仏(他力念仏)の仏道を歩ませていただきます。
 浄土真宗の所依の経典は「浄土三部経」(「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「仏説阿弥陀経」)です。なお、日常の勤行は親鸞聖人がお書きになられた顕浄土真実教行証文類(ご本典)の行巻末にある「正信念仏偈」(正信偈)という偈文のおつとめをします。

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その2 日の吉凶、占い、方位、姓名判断などの迷信に左右されない

 近年特に葬儀に友引の日を避ける、結婚式を大安の日でなどとの風潮は目を覆いたくなるほどです。これらは仏法とは一切関係がありません。「友引」は中国の六曜の一つで、元は「共引(引き分けの意)」と書いたそうです。子供でも笑いそうな幼稚な語呂合わせに大の大人が左右されるのはまったく困ったものです。ましてやお葬式に何の関係があるでしょう。「大安」についても同様です。浄土真宗の先人・先祖たちは友引に葬儀もやり、仏滅に結婚式をしてきたのです。その先人たちより命を受け継いだのですから、そのご法義もしっかり受け継ぎたいものです。
 浄土真宗では日の吉凶を気にしたり、占いや厄除けなどは決していたしません。ご葬儀で塩をまいたり、茶碗を割ったり、箸を立てたり、旅装束を着せたり、守り刀を持たせたり、逆さびょうぶをおこなったりなどの仏教伝来以前の習俗は、仏事である葬儀では行いません。そんなことを気にするよりもっと大事なことがあるからです。
 浄土真宗の門徒を「門徒もの知らず」と軽蔑的に言われることがありますが、これは阿弥陀さま一仏をあて頼りとし、俗信や迷信に惑わされない素直な信仰の姿・態度からであります。「門徒物忌み知らず」の誤伝だからであるとの説もあります。

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その3 「位牌」は用いない、使わない

 位牌というのは、そもそも中国で官位や姓名を木の札に書いて神霊に供えるという仏教と関係の無いしきたり(儒家のしきたり)が日本に伝わったものです。したがって、仏教と関係がない(他の仏教国で位牌を使わないことからも明らかです)位牌というものを浄土真宗では用いていません。 どうもこの位牌が仏教の教えとかけ離れた「霊の宿る所」的意識にもとづき、「お仏壇は死者をまつる所」という誤解を助長しているように思われます。ひどい場合には、その位牌の前にはお仏飯やお水が供えられていたり、ご本尊が隠れてしまう位置に位牌が置かれていたり、もっとひどい場合には御本尊が無く、位牌だけの位牌壇となっていたりします。 これでは何のためにお仏壇を求め、ご本尊をお迎えするのかわかりません。浄土真宗で位牌を用いないのは、こうした仏教にそぐわない霊魂観に基づいたことと仏教が混同されてしまい、本来の大切なみ教えがないがしろになる恐れがあるからです。
 どこかで誰かがきちんとしませんと子々孫々まで代々間違ったままになりかねません。この際、浄土真宗では“位牌を用いない”ということをしっかりおさえていただき、もし、自宅の仏壇に位牌が安置されていましたら、お寺さんに頼んで引取ってもらう(あるいは御自身で処分する)ことをお薦めします。そして位牌に刻まれた法名や俗名、死亡年月日、年齢、関係などは、過去帳や法名軸に書きかえてください。浄土真宗では、位牌を用いず過去帳や法名軸を使用します。

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その4 「冥福」「霊前」の語は使わない

 浄土真宗は阿弥陀如来の本願力により、お念仏をいただいた人は即得往生する教えです。ですから冥福(死後の幸福)を祈る必要はありません。冥福は死後に迷って幸福になれないかもしれないという認識に立つ言葉ですから、浄土真宗の方に「謹んでご冥福をお祈りいたします」とは大変失礼な言葉となります。 「謹んで哀悼の意を表します」などが適当です。なお、葬儀などで包む御香典も「御霊前」と記している人がいますが、浄土真宗では通夜・葬儀ともに「御仏前」と記します。同様に、「草場の陰」「昇天され」「泉下の人」などの用語も用いません。仏事にはそれぞれの宗教宗派ごとに定められた教えに基づく作法がありますので、仏教ならどこでもコレで良いなどということはありません。世俗の冠婚葬祭の本の内容は、お寺側から言わせてもらうとほとんど誤りです。

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その5 線香は立てない、香は押し頂かない

 線香は江戸時代中期に考案されたもので、燃香という正式な作法を略式にしたものです。そのため、たとえ線香を用いても形は燃香に近いように線香を香炉の大きさに合わせて2、3本に折り、横に寝かせて供えます。なお、浄土真宗本願寺派における焼香時の作法では、焼香時に香を持ち上げておしいただきません。焼香の作法は、まず焼香台の前に進み(正座し)、ご本尊に向かって軽く一礼し、香を右手でつまんでそのまま1回だけ(大谷派は2回)香炉にくべます。その後合掌、そしてお念仏を唱えながら礼拝し、再度ご本尊に一礼して退出という順序です。

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その6 神棚はまつらない。お札は貼らない

 浄土真宗は「弥陀一仏」といわれます。むかし一向宗と呼ばれたのもそのためです。だからといって他の仏さまや神さまを無視しろというのではありません。拝む対象としないというだけです。もともと浄土真宗の家に神棚は無いはずなのです。戦前の国策(日本の神国化政策。天皇陛下は神様)により、一般の家に神棚が普及(強制)されましたが、これが大きな間違いであったことは皆様ご存知のことと思います。もし、家に神棚やお札がありましたら、お寺さんに相談して処分されたらいかがでしょうか。(もちろんご自身で処分されても結構です。)

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その7 仏事は追善供養ではない。功徳は回向しない

 亡き人は、阿弥陀如来の本願によって往生され、この世の私たちをすくおうとされているのです。したがって、功徳を回向してもらうのは私たちにほかありません。ですから、亡き人の仏事を機縁として縁者が寄り集まり、お寺さんを囲んで亡き人の徳をしのびつつ仏法を聞かせていただくのが浄土真宗における仏事の姿です。また、自力修行では涅槃を得ることができない私たちが、阿弥陀如来のご本願(他力)によって往生させていただくのですから自力としての追善・追福は行いません。お墓に卒塔婆をたてないのもこのためです。仏恩報謝・報恩謝徳の懇念に基づき仏事を行います。

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その8 仏壇に他宗の仏像や故人の写真は入れない。

 浄土真宗は「弥陀一仏」ですから他宗の仏像を用いないのは当然です。お仏壇はお寺をそのまま小さくしたものです。お仏壇に他宗の仏像、御札、お守りなど神仏に関係ありそうなものを何でも入れている方がいますが、これではまるでごみ箱です。また、故人の写真をお仏壇の中に入れたりしている方がおられますが、故人の写真はお仏壇の外に出して、お仏壇の真上を避け、左右の長押などの適当なところに掲げておかれるのが良いでしょう。

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その9 お盆に特別なお飾りや迎え火、送り火などはしない。

 迎え火、送り火は、中東の習俗がシルクロードを渡って中国に伝えられ、中国の行事と仏教とが融合した後、 日本に伝わったものと考えられます。したがって、位牌と同様に本来、仏教と関係がありません。 また、仏様というものは、いつでも、どこでもいらっしゃるものであって、こちらの都合やカレンダーの日付で、「ある日来て、数日いて、さあ帰る日だから帰る」と いったたぐいのものではありません。
 また、こうした行為が仏教にそぐわない霊魂観の助長につながり、しいては仏教そのものを見失い、本来の大切なみ教えがないがしろになる恐れがあります。先立たれたご先祖を縁として み教えに出会い、聞かせていただく大切な期間が、単なるこれとこれをやったという自己満足の期間とならないためにも、お仏壇を故人にみたてたような飾付けや迎え火、送り火などは行いません。
※補足:浄土真宗でも寺院で盂蘭盆法要があるように、お盆の習慣はあります。ただ、お盆だからといって特別な飾り付けや他宗さんで行うようなことは行わないと言うことです。新盆(新盆)法要やお盆法要は行います。

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