基 幹 運 動 計 画


1. 理  念
私たちの現状と課題
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、いのちあるすべてのものが、本願を信じ念仏を申さば仏になる という、力強いみ教えを示してくださいました。私たちがこの教えに生きるとき、利己的な考え方で自他のいのちを計るのではなく、損得・利害を超えて、お互いのいのちのかがやきを見つめ直す生活がひらかれます。これこそ御同朋の社会をめざすいとなみです。
 現代の社会をかえりみるとき、近代文明の発展は、私たち人間に多くの利益をもたらしてきました。しかし、一方では、自己中心的な考え方が強まり、人類によってひきおこされた環境問題、民族間の対立、さまざまな差別など、いのちの大切さを見失うような問題があとを絶ちません。
 このような社会のなかで、私たちの教団は同朋教団という旗をかかげながらも、部落差別をはじめとする社会の差別構造を教団自身に反映して、自らの持つ差別性をいまだ克服し得ず、また、戦争・ヤスクニ・人権・環境などの平和や社会の問題にも消極的なあり方を示しています。

基幹運動とは
 基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)は、このような社会と教団のあり方に目をそむけることなく、教団の中のさまざまな活動を一つひとつ点検して、自らと教団の差別の現実を改め、積極的に社会の問題に取り組み、御同朋の社会の実現に努める運動です。そのためには、私の生死出づべき道を問い聞いていくことと、虚仮なる世間を糺していくことは無関係であるとしてきた誤った教学を、一人ひとりがいま一度見直して、現実を直視できる信心の社会性を明らかにしていかなくてはなりません。
 『教書』には「念仏は、私たちがともに人間の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ちむかおうとする時、いよいよその真実をあらわします」とあります。私たち念仏者は、この精神を基調として、全員が聞法し全員が伝道して、信心の行者としての限りなき努力をいたさねばなりません。
 きたる2011(平成23)年に親鸞聖人750回大遠忌を迎えるにあたり、また21世紀に向けて、浄土真宗のみ教えが、今を生きる私たちの拠りどころとなり、教団がその努めを果たすことに力を合わせましょう。

2.目   標
  御同朋の社会をめざして

3.スローガン
  念仏の声を 世界に 子や孫に

4.重点項目
 
一、現実の問題をみ教えに学び、
  信心の社会性を明らかにしよう
     ――浄土真宗聖典による学びを――

一、人びとの悩みに応える活動を展開し、
  お寺を活性化しよう
     ――門信徒と僧侶がともに歩む
          組基幹運動態勢の充実を――

一、私と教団の差別の現実を改め、
  真の同朋教団を確立しよう
     ――寺院・組・教区における研修の徹底を――

一、戦争・ヤスクニの事実に学び、
  平和を尊ぶ仏教の精神を身につけよう
     ――研修を通じて私たちの課題をあきらかに――

一、人権・環境をはじめとする社会の問題に取り組み、
  いのちの尊厳をまもろう
     ――生活の場を通じての学習と実践


   



「基幹運動推進 御同朋の社会をめざす法要」
に際しての消息

 このたび、「基幹運動推進 御司朋の社会をめざす法要」を厳修するにあたり、阿弥陀如来の恩徳を仰ぐとともに、宗門がすすめています基幹運動について、思いを新たにするところであります。
 思いますに、私たちは、阿弥陀如来の本願を信じ、念仏申して、往生成仏の道を歩むという生死をこえて生き抜くいのちを恵まれています。このいのちのすばらしさ、尊厳性を先ず自らが自覚するとともに、自己中心的欲望の追求にあけくれる閉じられた心をふりかえり、他のいのちや人格を尊重して、いのちの平等観に立って、生き抜きたいと思います。御本願には「十方衆生」、成就文には「諸有衆生」とあり、曇鸞大師は遠く通ずるにそれ四海の内、皆兄弟とするなり」といわれて、浄土につらなるものは無量であることを示されています。
 宗門では、僧侶門信徒ともに、み教えに聞き伝えるなかから、生命尊重、人権擁護を根底として、御同朋の社会実現に向かって、基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)を推進してきましたが、今日なお多くの課題があります。
  ことに、現在、国内におけるさまざまな差別の中、部落差別は封建制身分社会より引き継がれ、市民的権利と自由を侵害する深刻な社会問題であり、その解決は国民的課題であるとともに、宗門にとって法義上、歴史上、避けて通ることのできない重要課題であります。しかしながら、宗門には、因習による偏見のもと、時代の波を克服することができず、差別を温存してきた歴史があり、今なお、差別が残存していることは、念仏者として、仏祖のおん前に慚愧せずにはいられません。私たちは、差別を根絶するために取り組んでこられた先人の努力の足跡に学び、差別の現実に学んで、その撤廃に積極的に取り組む自らの姿勢を築きあげなければなりません。
 そのためには、予断を取り除き、思い上がりを離れて、差別・被差別の実態を知るだけにとどまらず、いのちの共感を妨げているものを見抜き、親鸞聖人の「一切の有情はみなもつて世々生々の父母兄弟なり」というおこころを体して、自ら生き方を変えていくことが大切です。
 すべてのいのちの尊厳性を護ること、基本的人権の尊重は、今日、日本社会の課題にとどまらず、人類共通の課題であり、世界平和達成への道でもあります。
 このたびのご法要を機縁に、聖人のお流れを汲む私たちは、聞法者としての自覚のうえから、宗門の過去の事実を確かめ反省するとともに、同じ願いに生きる人々とも手を携えて、同朋教団本来の面目を発揮するように、決意を新たにいたしたいと思います。

         一九九七(平成九)年三月二十日
                龍谷門主  釈 即 如


  



親鸞聖人750回大遠忌についての消息

 平成24年1月16日は、宗祖親鸞聖人の750回忌にあたります。本願寺では、ご修復を終えた御影堂において、親鸞聖人750回大遠忌法要を平成23年4月よりお勤めすることになりました。このご勝縁に、聖人のご苦労をしのび、お徳を讃えるとともに、浄土真宗のみ教えを深く受けとめ、混迷の時代を導く灯火として、広く伝わるよう努めたいと思います。
 親鸞聖人は承安3年に御誕生になり、9歳で出家得度され、比叡山で学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見いだすことができず、29歳の時、聖徳太子の示現を得て、源空聖人に遇われ、本願を信じ、念仏する身となられました。35歳の時、承元の法難により、越後にご流罪となられますが、後にはご家族を伴って関東に移り、人びとと生活をともにし、自信教人信の道を歩まれました。晩年は京都で、ご本典の完成に努められるとともに、三帖和讃など多くの著述にお力を注がれ、90歳を一期として往生の素懐を遂げられました。
 親鸞聖人によって開かれた浄土真宗は、あらゆる人びとが、阿弥陀如来の本願力によって、往生成仏し、この世に還って迷えるものを救うためにはたらくという教えです。南無阿弥陀仏の名号を聞信するところに往生が定まり、報恩感謝の思いから、如来のお徳を讃える称名念仏の日々を過ごさせていただくのです。
 仏教の説く縁起の道理が示すように、地球上のあらゆる生物非生物は密接に繋がりを持っています。ところが今日では、人間中心の考えがいよいよ強まり、一部の人びとの利益追求が極端なまでに拡大され、世界的な格差を生じ、人類のみならず、さまざまな生物の存続が危うくなっています。さらに、急激な社会の変化で、一人ひとりのいのちの根本が揺らいでいるように思われます。私たちは世の流れに惑わされ、自ら迷いの人生を送っていることを忘れがちではないでしょうか。お念仏の人生とは、阿弥陀如来の智慧と慈悲とに照らされ包まれ、いのちあるものが敬い合い支え合って、往生浄土の道を歩むことであります。如来の智慧によって、争いの原因が人間の自己中心性にあることに気付かされ、心豊かに生きることのできる世の中、平和な世界を築くために貢献したいと思います。
 私たちの先人は、厳しい時代にも、宗祖を敬慕し、聴聞に励まれ、愛山護法の思いとともに、助け合ってこられました。この良き伝統を受け継がなければなりません。しかしながら、今日、宗門を概観しますと、布教や儀礼と生活との間に隔たりが大きくなり、寺院の活動には門信徒が参加しにくく、また急激な人口の移動や世代の交替にも対応が困難になっています。
 宗門では、このたびのご法要を機縁として、長期にわたる諸計画が立てられ、広く浄土真宗が伝わるよう取り組むことになっています。700回大遠忌に際して始められた門信徒会運動、重要な課題である同朋運動の精神を受け継ぎ、現代社会に応える宗門を築きたいと思います。そのためには、人びとの悩みや思いを受けとめ共有する広い心を養い、互いに支え合う組織を育て、み教えを伝えなければなりません。あわせて、時代に即応した組織機構の改革も必要であります。
 それとともに、各寺各地で勤められる大遠忌法要を契機に、その地に適した寺院活動や門信徒の活動を、地域社会との交流を、そして、寺院活動の及ばない地域では、一層創意工夫をこらした活動を進めてくださるよう念願しております。
 宗門の総合的な活動の新たな始まりとして、皆様の積極的なご協賛ご協力ご参加を心より期待いたします。

   平成17年
   2005年 1月9日

                 龍谷門主 釋 即 如




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