念仏の声を 世界に 子や孫に


真宗用語豆知識


浄土真宗(本願寺派)
親鸞聖人が開かれた往生浄土の真実の教えを浄土真宗といい、浄土真宗は、私たちの宗派の正式の名称です。本願寺派には、1万300余の寺院があり、1000万人の門信徒がいます。
浄土真宗の教えは、親鸞聖人の主著である「顕浄土真実教行証文類(教行信証ともご本典とも呼ぶ)」に説かれてありますが、ひとことで言うならば「本願を信じ念仏もうさば仏になる」(歎異抄)ということができます。親鸞聖人が私たちにお教え下さった浄土真宗のみ教えは、「阿弥陀さまのご本願を信じ、お念仏もうして、仏になる」というお念仏のみ教えです。

浄土三部経 
親鸞聖人が最も大切にされた仏説無量寿経(大経)、仏説観無量寿経(観経)、仏説阿弥陀経(小経)の三つの経典を浄土三部経といいます。浄土真宗の所依の経典は、この浄土三部経です。

弥陀(阿弥陀如来) 
阿弥陀如来、阿弥陀仏を簡略にいった言葉です。阿弥陀仏とは、限りない光と限りないいのちをもった仏さまのことで、無量光仏とも無量寿仏とも、また不可思議光如来、盡十方無碍光如来ともいいます。この無量寿(限りない命)、無量光(限りない光)という無限のはたらき(慈悲と智慧)をもった阿弥陀さまは、一切の衆生、生きとし生けるものすべてを救う仏さまであります。

本願 
善人(自分一人の力でこの世を渡っていけると思っている人)も悪人(そうでない人)も、一切の生きとし生けるものを救済して、仏の国(浄土)に生まれさせようという阿弥陀如来のお誓いのことを本願といいます。親鸞聖人は、阿弥陀さまがまだ法蔵菩薩として修行されていたときに立てられた四十八の願いのうちで第十八番目の願いが、私たちのために立てられた真実の願い(本願)であるといただかれました。

名号(尊号ともいいます) 
阿弥陀如来のお徳を名として表したものが名号で、親鸞聖人は、これを六字(南無阿弥陀仏)十字(帰命尽十方無碍光如来)九字(南無不可思議光如来)などとお示しになりました。
また、阿弥陀仏の本願のはたらきが具体的にことばとなって現れたものが名号でありますので、この名号にすべての徳と救済のはたらきが施されています。

念仏(南無阿弥陀仏)
仏(阿弥陀如来)のみ名を称えることを称名念仏、略して念仏といいます。阿弥陀仏の私たちを救わずにはおかないというお心そのままが「南無阿弥陀仏」の六字の名号にそなわっています。み仏のお慈悲につつまれて生き、み仏に救われて仏の国(浄土)に生まれることを喜び、お念仏いたしましょう。

回向
阿弥陀如来が、ご自身の修行の結果得た果報(幸せ)を私たちに与えて、私たちを幸せに導いてくださることを回向といい、廻向とも書きます。
世間一般には、追善回向の用語のように、一般に自己の積んだ善根功徳を他に与えることを差しますが、浄土真宗では阿弥陀仏がその徳を私たちに振り向けて救済の手をさしのべることをいい、これを本願力回向、他力回向、発願回向といいます。また、浄土真宗では、浄土往生してさとりをひらくという往相回向と浄土往生の後に再びこの世(穢土)に還って衆生救済のはたらきをあらわすという還相回向の二種の回向を説き、これらの二種の回向も阿弥陀仏の本願力回向によるものであるとします。

他力(本願力) 
親鸞聖人の主著である「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」行巻に「他力というは如来の本願力なり」とありますように、阿弥陀如来が私たちを救済するはたらき(本願力)を他力といいます。決して、他人の力をあてにすることではありません。

正定聚(現生不退)
まさしく仏となることが定まる人々の意味で、阿弥陀如来の救済、はたらきを知り、必ず仏の国(浄土)に生まれさせていただくとの信心が定まった人びとのことを正定聚(しょうじょうじゅ)といいます。浄土真宗では、仏説無量寿経の本願成就文にもとづき、他力の真実信心を決定(獲得)した者は、即時にこの世において正定聚の位に入り不退転に住すると説き、これを現生正定聚とも現生不退ともいいます。

信心
阿弥陀如来のお慈悲を素直に信じて、疑わない心を信心といいます。この信心は、阿弥陀如来から与えられるもの(本願力回向)で、仏心そのものであり、この他力の信心をいただいた人は、お念仏とともに明るく生き抜くことができます。
浄土真宗の信心は、「必ずおまえを救うぞ」という阿弥陀如来の願いをそのままに、疑いなくいただくことであります。阿弥陀如来より与えられる信心が、我が身にいただけ私の信心となるということには、私がつくるという自力の信ではなく、仏さまの願い(願行)がそのまま私の信心になるということです。
親鸞聖人の書簡を収録した「末燈鈔」にも「信心さだまるときに往生またさだまるなり」とあり、浄土往生の要因はこの信心こそが正因であるとします。

報謝
報謝とは、報恩・感謝のことです。私たちは、み仏のご恩、親の恩、人々やすべてのものから受けるご恩を感謝し、そのご恩に報いる気持ちを忘れてはなりません。

往生
仏の国(阿弥陀如来の浄土)に生まれさせていただくことを、往生といいます。お念仏もろとも、往生浄土の道を歩ませていただきましょう

正信偈
「正信念仏偈」の略で、親鸞聖人の主著「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」の行巻末にある7言120句の偈(うた)。浄土真宗の本義を端的に述べている内容であるので、本願寺第八世蓮如上人は、これに和讃六首と念仏を加えて朝暮の日常勤行にすることを定め、以来日常勤行や仏事にもっとも多様されています。

聞(聞即信)
浄土真宗では「聞即信(阿弥陀仏の本願にいわれや南無阿弥陀仏の名号を称えることの意味を聞くことがそのまま信じること)」として、ことに聞を重んじます。仏説無量寿経の本願成就文に「その名号を聞きて信心歓喜す」とあるように、名号のいわれを聞いたときが信心をいただくときで、親鸞聖人はこの聞について「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」信巻に「聞というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心有ることなし、これを聞というなり」とのべています。ただひたすらに阿弥陀さまのはからいに随順する絶対他力の信心を表すのが聞即信ということです。

凡夫
私たちのように普通の人間。聖者の逆で真理に暗く、欲望・我執などの煩悩いっぱいで、苦しみと悩みの世界にさまような人間をいう。親鸞聖人は「一念多念証文(一念多念文意)」で「凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく(多く)、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほく(多く)ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと水火二河のたとへ(二河白道のたとえ)にあらはれたり」と記し、自分自身が煩悩いっぱいの凡夫(煩悩具足の凡夫)と深く認識し、そのような者を目当てにし、そのような者こそ必ず救うという阿弥陀如来への絶対的信仰を起こしました。

悪人正機
「善人なおもって往生をとぐ。いわんや悪人をや」(善人でさえ救われるのだから、悪人はいうまでもない。)この言葉は弟子によって記録された語録 『歎異抄』にありますが、今日親鸞を表現する代名詞にもなっています。
 阿弥陀如来の本願は、悪人こそめあてであるという真宗の教えの根本です。ただし、ここでいう悪人とは法律や道徳に反する非道の人の意味ではありません。ここでいう悪人とは、末法の時代において往生浄土のために何ひとつ善根を積むことができない凡夫、つまりこの私のことです。
貪欲(欲望)・瞋恚(怒り)・愚痴の三毒の煩悩いっぱいの私たちは一つ間違えば大罪人と同じ行為をいたしかねません。人が本来罪深いものであるという内省のうえに、極重悪人とは自分のことであると親鸞聖人は述懐されているのです。 そして、そんな私たちこそが阿弥陀仏の救いの目当てであるということが悪人正機ということです。

造悪無碍
悪人正機の教えを誤って理解し、どんなに悪を造っても往生には障りがないという誤った信心のありかたをいいます。

摂取不捨
おさめとって決して捨てることがないという意味で、阿弥陀如来の救いについて表現される用語です

善知識(ぜんぢしき)
正しい教えを説いて、正しい道(仏道)に入らしめる人のこと。阿弥陀仏をあてたよりにせよという道を知らせてくれた使いの人。ただし、領解文の「次第相承の善知識」とは歴代の宗主のこと。  

御文章(ごぶんしょう)
本願寺八世蓮如上人が門徒に書き与えた消息体(書簡形式)の法語で、真宗のみ教えの要義や信仰のあり方をわかりやすく平易に説き、真宗の普及に果たした役割は大きい。現在でも勤行や説教・法話の後などに読まれている。 本願寺派では「御文章」と呼び、大谷派では「御文」(おふみ)と呼ぶ。

西本願寺・東本願寺
本願寺が東西に分かれるきっかけは四百年前に逆上ります。 日本中が激しい領土争いにゆれていた戦国時代には本願寺もその時代のうねりから無関係ではいられませんでした。 当時の本願寺は農民層を中心にかなりの社会的勢力を誇 り、有カな戦国大名と同等の力を有していましたので、その存在は、天下統一をめざす織田信長にとっては放置しておけないもので ありました。また石山本願寺のあった大阪(現在の大阪城の場所)は、信長が中国、四 国、九州へ勢力を拡大する上からも戦略的に必要な土地でありました。そして1570年に、本願寺と信長は戦いをはじめました。これが最大の一向一揆でもある石山戦争です。 戦いは10年にわたり、ついに1580年、当時の本願寺宗主である顕如上人は、信長との和議を結び石山本願寺を明け 渡すことを受けいれ本願寺を退出しましたが、ここで顕如上人の長男である教如上人は和議を拒否する姿勢を示し、徹底抗戦を支持する門徒とともに本願寺に残り戦い続けました が4ヵ月後にはカ尽きて教如上人も退出を余儀なくされました。この時の姿勢の違いが、のちに本願寺が東 西に分派する要因となっています。その後天下を統一した秀吉は、1591年、本願寺の 京都移転を決め、京都六条に土地を寄進しました。これが現在の西本願寺(本願寺派)であります。 移転の翌年、顕如上人が亡くなると継職をめぐって教団内部の顕如派と教如派(石山戦争時の和睦派と徹底抗戦派)の対立が表面化し、 秀吉は長男の教如上人を隠居させ、本願寺は顕如上人の三男である准如上 人が継ぐことになりました。 秀吉の没後、教如上人は徳川家康と親しくなり、やが て家康は天下を統一した後、1602年に教如上人に京都烏丸七条 に寺地を寄進し一寺を建立させた。これが現在の東本願寺(大谷派)のおこりである。 家康の寺地寄進の理由は、本願寺を弱体化させるため だったという説や教如上人への同情からだったという説 などさまざまな説がありますが定かではありません。 現在、真宗には浄土真宗本願寺派、真宗大谷派の他に 真宗高田派、真宗仏光寺派、真宗興正派、真宗木辺派、 真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元 派がある。親鸞聖人のお弟子たちがそれぞれの土地で御 同朋として育てられる中で、伝道方法などに特色を見せ ながら成立・発展したこれら十派は、現在は真宗教団連 合を結成して、教学面などで互いに学びあいながら交流 し、共にみ教えを伝えるために協カ関係を作っている。
[真宗用語豆知識]に載せてほしい用語がありましたら下記トップページよりご連絡ください
なもあみだぶつ たった一言だけど わたしの大事な宝物




ホ−ムトップへ



み教えは 生きる私の 羅針盤